市議会議員としての務めは、市民の代表でもありますが、寧ろ市民の代弁者であるのだという自覚と責任を持っていなくてはなりません。
だからこそ市長や当局が提案をしてくる予算や事業の執行について、常に市民の立場に立って、厳しいチェックの判断を求められるのです。
これが地方の”
議会制民主主義”の原点であります。
「俺は市議会議員だっ!」と言って市民の代表である特権は何もありません。
行政当局や職員に対して、圧倒的な野蛮な発言や行動、又特権意識を持つことは断じて許されるものではないのです。しかし往々にして当局や市の職員を大きな声で「俺は市議会議員だっ!」というような態度で威圧的に圧力を加えるような要望をしている光景にぶつかることがありますが、全く残念です。
本議会や委員会でも、きちんとした判断で反対するのではなく、
最初から「反対のための反対」を決めつけている限られた政党の議員が
派手なパフォーマンスの「反対のための反対」をこれみよがしにやります。
このために無駄な時間がつぶされ、多くの市幹部や職員が拘束されたりするばかりか、やみくもに「資料請求」をして、もったいないコピー用紙をたくさん提出させ、時間稼ぎでもしているかのようなことを平気で繰り返しているのです・・・。
そうした行動に対して合理的な議事進行を求めますと、必ず返ってくる言葉は
「議会は討論の場だ、時間をかけて討論をすることが慎重審議ではないのかっ」と反論をして参ります。
全く中身のない不毛の議論でしかないことがわかっていても、”
議会制民主主義”とは無駄なお金がかかるのだなあと、思うことがよくあります。
マスコミも「賛成」の声よりも「反対の声」を派手に取り上げたりするものですから、
そんなことも計算に入れて反対をすることに議員としての生き甲斐を求めているのかも知れません。
反対理由を明確に示し、それに代わってつじつまのあう修正案や代案を提出してくれるならば、それでも討論をする余地があるのですが、無責任な言い放しだけで終わっているのが実態です。
国会でも、ダラダラと夜を徹しての「
牛歩戦術」なる賛否の投票シーンがありましたが、
市議会でも野党の諸君は中身的には、そんな姿と全く同じだと言っても決して過言ではないと思うのです。
厳しい経済社会では、不景気の嵐の中、リストラや人員整理が行われているのです。
開かれた議会(=情報公開等)と議員の定数問題と議会の合理的運営に、私は精力的に働きかけたいと思っております。
「議長」のポストとは、大変な激務であり、
寝ているとき以外はすべて公務であると言っても過言ではありません。
土日や祭日の休日もない、分刻みの過密スケジュールの毎日です。
「議長のタライまわし」と、よくマスコミが取り上げたりする記事がありますが、
日程通り、手抜きもなく完結な議長職をまじめに務めようとすれば、
精神的、肉体的に2年も3年も続けることができぬほど、ハードスケジュールなのです。
しかし先輩議員には2年も3年も議長を続けてやった方がいます。
私に言わせれば、それは激務の「議長」を名誉職と考え、iく議長に居座ることがあたかも実力者であるかのような思い上がった考え方ではなかったのかと思います。
決して1年交代で誰しもが「議長」を公平にやればよいというのではありません。
「議長」としての能力を発揮できるものが1年間やり、又その次の機会に「議長」の要職に望まれたときには、その間に充電していたエネルギーを発揮すればと思うのです。
議員としての原理原則とは、議員は公僕でなければならない責任と、その自覚です。